言葉には言霊がある
こんにちは、ちゃやです!
私はブロガーと陶芸作家なので、ブログ界隈とハンドメイド界隈のXのポストを見るようになりました。
そんな中、気になるフレーズを前置きに使う人が多いことに気づきました。
現代は、伝えたい内容の前にワンクッション挟んで、緩衝材のように言葉を柔らかくする役目があるので、「クッション言葉」とも言いますね。
今回はその気になるクッション言葉についてお伝えします。
※本ページはプロモーションが含まれています。
私が作った作品なんて
「私が作った作品なんて・・・」
このように、自分の作品や記事を紹介する時に、前置きの言葉を使う人を見かけます。
このようなクッション言葉を使う人のブログや作品を見たいと思いますか?
残念ながら私は見たいと思わないです。
「素敵な作品だな〜」「素晴らしいブログを書いているな〜」と思うんですが、魅力を半減させちゃう一言があるだけで、もう次は見なくて良いかなぁと判断しちゃいます。
おそらく、その言葉を使うようになったのはその人なりの経験や経緯があってのことだし、気持ちは分かります。
作品が泣いている
だけど、一生懸命愛情たっぷり込めて作った作品に対して、自分でその言葉を使ってしまうのは、作品がとても可哀想。
私はその作品が泣いているように感じてしまいます。
作品は自分の分身
作品は自分の子供であり分身。
他の誰よりも大切にして可愛がってあげたい。
「こんな素敵な作品作ったよ〜!見て見て〜^^」と大袈裟にアピールしてあげるくらいの方が魅力が増すと思うんだけど、こんな風に思うのは私だけ?
こんな記事参考にならないと思いますが・・・
「こんな記事参考にならないと思いますが・・・」
このような前置きをしてブログを書いている人を見かけます。
私はそのブログを書いている人に魅力を感じてブログを見ることが多いです。
冒頭でこの言葉を使っていたら、そっと閉じてしまうし、最後にこの言葉を使っていても、残念な気持ちになってしまいます。
言葉のセンスや魅力を表現
ブログ記事も自分の子供であり分身。
似たようなブログだったとしても、必ずその人の言葉のセンスや魅力が表現されています。
現実化する
言葉は言霊。
言葉は現実化するためのツール。
その人がどんな言葉を使うかで現実が変わっていきます。
「こんな記事参考にならないと思いますが・・・」と前置きしてしまう人には残念ながら「この記事やっぱり参考にならなかったな・・・」と感じている人を引き寄せてしまいます。
せっかく時間をかけてブログを書くのだから、「素晴らしいブログを書いたから見て〜!」とアピールしちゃえば良いと思うんです。
謙遜の美徳?
日本人は謙遜することが美しい?
う〜ん、そんな謙遜文化はなくなっちゃえ!って思っています。
ブログを読んだ人、作品を見た人がどう感じるかはその人の感じ方次第なので、作者がわざわざ謙遜する必要はないと思います。
素晴らしい時代
SNS時代だからこそ、自由にブログや作品を発信することが出来る。
本当に素晴らしい時代だと思います。
自分が普段使っている言葉を少し変えるだけで、本当に現実ってすぐに変わる。
自分へ改めて言い聞かせるためにもこの文章を書いています。
まとめ
皆さん、いかがだったでしょうか。
言葉は言霊。
作品は自分の分身。
何気なく使う言葉で作品の魅力が変わってくることを実感しています。
今回のブログは自分への言い聞かせの意味もあるので、明日の自分、1年後の自分、10年後の自分へ向けて書きました。
読者の皆さんにも気持ちが伝わると嬉しいです。
それではまた次の記事でお会いしましょう〜!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
コメント